今年もフィニッシュエリア
今年も例年どおりフィニッシュエリアの救護でしたが、中でも馬場先門救護所を初めて担当しました。東京マラソンフルスペックでの開催は3年ぶりで多少の緊張感もありました。
8張りをつなげたテント。そこに医師5名、看護師16名、トレーナー5名、学生ボランティア16名、その他車両担当や受付担当など総勢約50名以上からなる陣容は、20数か所の全救護所の中でも最大規模です。選手がフィニッシュランを越えてから移動する導線上で荷物受け取りの近い場所にあたるため、最も多くの傷病者を受け入れることになります。
その運営責任を任されたわけですが、フィニッシュが東京ビッグサイトだった時代も、更衣室が日比谷公園や東京国際フォーラムとして開催された時も同じ位置づけの救護所を担当しているので、特に動揺することもなく「またか。」という感じ。
ただし今回は詳しい配属先として決定されたのが二日前の金曜日で、マニュアルは冊子ではなく「必要なところをダウンロードしてください・・・」という本部からの指示。資料作成に手間がかかったのと、方針戦略立案の時間が十分とれなかったことで苦労させられました!
当救護所を訪れた選手は75名
救護所で面倒を見る選手の人数は気象条件に左右されます。熱ければ熱疲労、熱中症系が多くなり、寒ければ低体温症が多くなります。過去にも雨や雪の中の開催では、ベッドや毛布が足りなくなる事態も何度かありました。今年は、スタートと後半で少し寒さを感じられたもののマラソンには恵まれた天候で幸いでした。
フィニッシュエリアにおいて天候と同じくらい影響をおよぼすのが救護所の場所です。ゴール後の選手の導線の分け方、距離、手荷物受取や更衣室、最寄り駅の方角との位置関係、さらに目立つかどうかです。
今回、当救護所を訪れた選手は75名。「まぁ普通の忙しさで済んだかな」という感じでした。フィニッシュエリア内に新たな救護所が増設されて分散がはかられたことが功を奏したようで、これがなければ倍近い数の選手が訪れたと推測します。
当救護所で特徴的だったのは外国人選手が半分以上であったことです。先に開催された幾つかの市民マラソン大会で定員割れが見られたことに対する策として外国人選手を多く受け入れて繕ったのではないかとも言われているようですが、38228人の出走者のうち外国人は11738人と過去最多の割合。そして、ゴール後の外国人選手用ツアーバスの乗り場が当救護所のすぐ先にあったためにこのような結果になりました。
「タクシーを呼んでください!?」
困った事案のうちの一つが、処置が済んだ後の「歩けないのでホテルまでのタクシーを呼んでほしい」という外国人選手の要望でした。救護所の対応としては、歩けない選手は病院搬送なのですが「それは嫌だ、必要ない」と言います。さらにタクシーを呼んであげるのは業務外です。仮に呼んであげるにしても交通規制の最中であり、エリア内には大会関係車両しか入れません。
日本人であれば諸状況からそれは無理なことと解るのですが、当該の選手にしてみれば、日本のホスピタリティでは可能、あるいは当然と思われたのか、海外のマラソンの救護事情では可能なのか、ただ我儘な人だったのかはわかりません。
結末を述べることは控え、ご想像にお任せします。
任務を終えて
朝8時半から設営・準備をはじめ、昼前から選手の受け入れが始まり、徐々に慌ただしくなり、救護所から最後の傷病者を見送って急いで後片付け、終礼。そして終礼にかぶるようにゴミ回収や什器備品撤収の部隊が一気に押し寄せて、救護所を含めたテント群の白色がみるみるうちに消えてゆき、皇居に居たことを今更に思い出した次第でした。
昼ご飯を食べた15分以外は立ちっぱなしでウルトラマラソン並みに頑張りましたが、忙しさのあまり幸いにも自身の体調のことを考える余裕がなく、息苦しさもほとんど感じませんでした。ちなみに、電話通話履歴は37回になっていました。
昨年は同じフィニッシュエリアでも、エリート&車いす対応の救護所でした。当時はコロナ後遺症罹患7か月目で、回復と社会復帰のきっかけになればとの思いで不安を抱えながらの従事でした。
あれから1年、未だ体は治っていませんが、できる範囲の仕事復帰とこうした社会活動もできるようになりました。何とか任務をやり終えた充実感と、出場されたランナーの皆さんのエネルギーにあやかって、少しずつでもさらに回復して元気になってゆく希望を抱き、薄暮の皇居を後にしました。
これから、アンケート、報告書めいたものを書いて提出しなければなりません・・・。
治療家、トレーナー、快体健歩の私としてのエピソードもあります。改めて別の投稿で紹介させていただきます。
コメント
コメント一覧 (4件)
救護所任務お疲れ様でした。さすがに38千人、うち外国人12千人もの大会のフィニッシュでの救護はメチャたいへんそうですね。でも、そのたいへんさのために昼食を除きウルトラマラソン並に頑張れたことは特筆に値するのではないでしょうか。今回のご苦労がコロナ後遺症からの回復に寄与していることを信じております。
井上さま
ありがとうございます。
今回の仕事も大きな自信になりました。
今後も少しずつ快方に向かってゆくと思います。
東京マラソン救護所 大変お疲れ様でございました。ご自身の体調管理をしつつ、ランナーのサポート、救護所全体のマネジメントとに心身ともにフル活用され重要な役割を立派にお勤めされたのですね。「まさか自分が救護なんて!」と誰しも考えないことだけに いざとなると…救護あって良かったと思うのですよね。まさに縁の下の力持ちです!私も人生が終わらないうちに参加したいです。
髙山さん、ありがとうございます。
大変ではありますが、過去には大迫選手がフィニッシュラインに駆け込む姿を最前線で見たり、ここでしか見れないもの、聞けないことに接することができるメリットもあります。
本職とはまた違う場面、立場でランナーの体をサポートしている喜びを感じることができます。
私もいつまで続けられるかわかりませんが、マラソン競技役員には定年が無いようなので、髙山さんの出走を見守るまで頑張ります!